<長編プロフィール>自己紹介

 

 

最近、母や親類から
「あなたは気持ちを抑えている子どもだった」と
言われて、正直
「やっぱりそうだったか」と思いました。


家では母よりも
祖母が厳しかった印象。
聞いた話によると、
3歳以下の頃、
厳しくしつけられたようです。

物心つく前のことは覚えていないですが、
祖母をはじめ大人には
到底、逆らえないだろうという、
絶対的な「あきらめ」がありました。

だだをこねたり、
わがままを言った記憶はなく、
もの静かな小学生でした。


例えば、遠足のバスの席決めでは
率先して「補助席でいいよ」と申し出たり、
それは、優しさとは、
ちょっとちがう「自己犠牲」でした。

気持ちに耳を澄まそうともせず、
自分なんてどうでもいい。と
はなから諦めていた。

そして
どこにでもある家族の
「うちわ喧嘩」が私にとってはストレスで、
相手の顔色や態度、言葉を
とても敏感に感じ取ってしまう子でした。

家族に仲良くなってもらいたくて
勇気を出して発言したことも、

ぴしゃりと怒られたことによって
「わたしの意見は通らない」と捉えて


知らず知らずのうちに言葉とともに
自分の気持ちにもフタをして
気持ちを出すことを忘れていった。

 

土曜日の昼下がり、
家で過ごす 窓から眺めた
重苦しい曇り空を思い出します。

 


幼少期の頃から、
思えば「お花」がずっとに根底に
あった事を思い出し、
じわーっと心があたたかくなっています。

祖母の趣味で、
家に「お茶」と「活け花」の
先生や生徒さん方が出入りしている
環境だったので、

4.5才の頃から
お花の教室で余った切れ端をもらって
器に飾って遊んでいました。

夏休みの宿題は
姉妹で「植物採集」に打ち込み、
学校では「植物採集クラブ」に
所属したり。

「お花」への興味が
ぐんぐん湧き出していました。

 


本当の自分をだんだんなくしていった
小学校、中学校へ進むにつれて、

だんだんまわりからのイメージ
私の想像ですが、
「まじめ」「ちゃんとしてる」

重荷になっていきました。

自分の勝手な思い込みだったなと思います。

断ったら悪いかなあと
嫌だったら「断る」ことも

いくらでもできた。
イメージを崩すこともできた。
誰も傷つかない。

それよりも、私らしくいることの方が
大事だったなと思います。

クラスメイとにも家族にも
友達のお母さんにも
イメージを作って握りしめてきたのは
私自身だった。

家で妹と遊ぶのも好きでしたが、
ひとりで没頭して
絵を描いたり、モノづくりをすることが
好きでした。

高校では美術に所属し、
デッサンを学ぶ日々。

チラシやポスターなどの
デザインに

そんな自分にプレッシャーをかけ続けてきて
自分の気持ちを抑え続けてきた
ここにきて崩壊しました。

心身のバランスを崩し、
あらゆる刺激に涙が出てしまうので
静かな白い壁の部屋でもたれているだけで
何もすることができなくなってしまいました。

自分を粗末にしてきたこと。
自分の気持ちに耳を傾けなかったこと。
もっともっとと追い込んできたことがあったなあと
後悔しました。

このために勉強してきたデザイン。
神経をすり減らしながらやってきた道は
断念せざるを得なくなりました。

ずっと忘れていた「お花」という存在。
1年程して少しずつ元気を取り戻して

デザインの道が絶たれ、
何をしていこうと思った時、
デジタル的なものではなくて、
自然を求める気持ちがありました。

家から近いところにあった花屋さんに
勤めるようになりました。

植物のことなら、安心
体にさわることはないと思ったんです。

初めに勤めた花屋さんで
仏花のお花の作り方、
アレンジメントの作り方、
鉢物の世話、
様々なことを教えていただきました。
お花屋さんの空気は
水蒸気が

人間関係でも悩むことが多く、
今思うと、自信のなさから
なめられることが多く、
うまくいかない。

「自分でやってみたら」と先輩の
お言葉で、やってみようかなと
ハンドメイドの世界に飛び込みました。

店舗を構えているのとはちがい、
黙っていてもお客さんに目にとめることは
ない。

いかにして、
「個性」「自分の世界」を
出していくか
私にしか作れないものとは?

職人のような自問自答の日々。
マルシェでのお客さんとの対応。
少しずつ、「花かんむり」の名前と
お花の雰囲気、顔を覚えてもらいました。

出張ワークショップを積極的に
行っていました。

モノづくりにかけてきた情熱
お世話になった方々は

もうひとつの「青春」です。

 

カメラにはご縁があって、

はじめてのカメラは
高校生の頃、
美術部の友人とカメラを持って散歩したのがきっかけで
熱中しすぎて、
禁止令が出そうになりました。

大学でもカメラ部に入ったり、
普通のカメラから、デジカメから、
携帯の写真から
色々なもので撮ってきました。

今思うと、ブティックでも
洋服の写真を撮影し、楽天に掲載する仕事もしていました。

また、お花を撮る講座を開くまでになるとは
私自身も驚きです。

 

 

一人でお花をやっていると、
技術に手詰まり
壁が出てきました。

お花の教室をするのに、
資格はなくてもできるのですが、

学んだ中で、
私のフィルターに通して
また新たなことができるのではないかと
学ぶことにしました。

ですが、なかなか師となる方が
見つからず出会えず、
お花の仕事を続けていました。

教室をオープンさせていだきました。

やっていくと、
色んなことが気になってきました。

自分のだめな部分、
例えば、片付けが苦手なこと。

悩むこともありました。
どこかいつわりの自分を見せているようで。

欠点があるから、人間味があっていいかなと、
今はどんな風に思ってもらってもいいと思っています。

自分の睡眠時間を削って
ごはんも食べずに集中したり、
頑張ってない自分はだめ。

そんな風にプレッシャーをかけて

じっくり自分と向き合ってきました。

健康は大切なもの。
精神的な豊かさがしあわせを生み出してくれる。
それを痛感してきた日々でした。

そんなお花を提供したい。
そんな風に考えています。

 

デザインの挫折。
以前は、過去が重荷になっていました。

ここ残りがいっぱいで、
夢はもう途絶えたと

過去が応援してくれている
夢は途絶えたわけではなし
お花と一緒に育って続いていく
そう強く感じるようになりました。

そう思ったらもう重荷ではなく、
むしろ大事ななくては
ならない土になりました。

ずっと根底にお花があったこと。
私が伝えられることをお花を通して
伝えていきます。

お家の窓から見える空が
素敵と思えるように

 

自分を出さないことが良いことだと思っていた。
言葉遣い直してもらって良かった。

「家」についてのテーマ。
をもらった

関連記事

  1. <子ども花塾>「知る」体験が可能性の扉を開く お一人お一人に合っ…
  2. プロフィール
  3. <北欧風リゾートを花装飾>世界的メーカー「ノルディスク」様と三重…
PAGE TOP